人間椅子
ハァハァ…奥さん…私椅子職人なんですけど…ハァハァ
椅子に入って……ハァハァ…ハァハァ
前回に引き続き、江戸川乱歩の作品です。
一度聞いたら忘れられなくなるこのタイトル…
江戸川乱歩の作品名は秀逸だと思います。
蟲は猟奇に寄った変態の犯行でしたが
人間椅子は変態による変態の犯行です。
今更のような気もしますが、
私の好きな本の傾向は怪奇・幻想・耽美主義です。
紹介する作品は殆どが↑になりますので
これらが苦手な方は、よくよくご注意下さい。
読めそうなら読んで欲しいな
美しい閨秀作家(女性作家の事です)の佳子(よしこ)は、書斎の机の前に座り、ファンレターに目を通していました。
外務省書記官という旦那の肩書きも霞む程の有名作家なのですが、心優しい人で、どんな内容のものでも自分に宛てられた手紙なら、兎に角一通り読むのが日課となっていました。
読みやすい封書や葉書に目を通していくと、最後に一通の原稿用紙が残ります。
これ自体は珍しいことではなくて
『自分の作品を評価してもらおうと送ってきたのかなーでもなー退屈なのが多いしなーとりあえず表題だけみとくかぁ』
と、封を切って原稿を見ると表題も署名もなく「奥様」という呼びかけの言葉。
あれやっぱり手紙なのかしら?と文字に目を走らせると、薄気味悪さと好奇心でその文章から目が離せなくなりました。
ここから、送られてきた原稿用紙の内容に変わります。
長いので思いっきり端折って書きますが、もう鳥肌立つほど気持ち悪いから是非原作を見ていただきたい。
奥様、
突然このような手紙を送りつけてすいません。
こんなことを言うと、かなりびっくりしてしまうと思うのですが、私の犯した世にも不思議な罪悪を聞いていただきたいのです。
私は数ヶ月間、悪魔のような生活を続けてまいりました。
誰にも悟られることのないまま、永久に過ごしていこうと思っておりましたが、
近頃どうにも、この因果な身の上を懺悔しないではいられなくなりました。
どうか、手紙を最後までお読み下さいませ。
そうすれば、私が何故そのような気持ちになったのか、
何故奥様に罪を告白をしなければならないのか分かります。
私は生まれつき、世にも醜い容貌です。
ですが身分不相応にも、甘美な夢に身を焦がしておりました。
裕福な生まれであれば、芸術の才があればと嘆きながら
家具職人の子として、その日を生きる為、椅子を専門に作りつづけました。
私の職人としての腕はなかなかのもので、高貴な方が座る贅沢な作りの注文を受けていたのですが、完成した椅子の座り具合を試しながら、
この椅子を注文なさるようなお邸なのだから、有名な絵画を飾り宝石のようなシャンデリアが吊り下がっているのだろう。床には絨毯、椅子の前にあるテーブルには鮮やかな西洋草花が…
などと妄想し、まるでその立派な部屋の主となったような気がして、ほんの一瞬ですが形容の出来ない愉快を感じておりました。
なおも私の妄想はとめどなく増長していき、
貧乏で、醜い、私が、気高い貴公子となって自分の作った椅子に腰掛け、その傍らではいつも夢に出てくる美しい私の恋人が微笑んで、ついには手を取り合い、恋を囁きあうこともありました。
そんな夢に浸っていると、決まって邪魔が入り現実に引き戻されました。
そうして夢の貴公子とは似ても似つかない自分と、夢の名残のように椅子がぽつりと残される。やがて私を置いてまったく違う世界に椅子だけ運び去られてしまう。
一つ一つ椅子を仕上げる度に、現実の味気なさを感じ
いっそ死んだほうがましだと真面目に思うようになりました。
しかし、死んでしまうくらいなら、
それ程の決意が出来るなら、もっと他に方法はないものだろうか。たとえば…
そうして、私の考えは恐ろしいほうへ向いていくのでありました。
丁度その頃、私はかつて手がけたことの無い、大きな革張りの肘掛け椅子の製作を頼まれておりました。
それは素晴らしい出来栄えとなり、うっとりとしながらいつもの妄想に浸っていると、悪魔の囁きというものはああした事を指すのではありますまいか。
ある恐ろしい考えが浮かんで参りました。
そして私はまあ、なんという気違いでございましょう。
その奇怪極まる妄想を、実際に行ってみようと思い立ったのです。
椅子の細工はお手のものですから、
人間が隠れられる空洞を作り、空気口や水と食料を置く小さな棚、その他様々な考案をめぐらせ、食料さえあれば二三日入りつづけていても不便を感じないようにしつらえました。
いわば、その椅子が人間一人の部屋になった訳でございます。
私はシャツ一枚になると椅子の中に、すっぽりともぐりこみました。
間もなく商会が肘掛け椅子を受け取りにやってきて、私の内弟子が何も知らないで応対します。
別段あやしまれることなく荷車で運び出されると、ホテルの一室に据えられました。
もうとっくにお気づきでございましょう。
私のこの奇妙な行いの第一の目的は、隙を見て椅子から抜け出し盗みを働くことでありました。椅子の中に人間が隠れていようなど誰が想像できましょう。
自由自在に部屋から部屋を荒らし回って、人が騒ぎ始めればまた椅子の中で息を潜めて、彼らの間抜けな捜索を見物していればよいのです。
さて、この私の突飛な計画は見事に成功いたしました。
でも私は今、その事を詳しくお話している暇はありません。
私はそこで、盗みなどより何十倍も私を喜ばせた奇妙な快楽を告白することが、実はこの手紙の本当の目的なのでございます。
私は椅子の中の、身動きも取れない真っ暗な世界に怪しい魅力を感じました。
そこでは容貌など無意味であり、肉体の感触と声音と匂いがあるばかりでございます。
奥様、どうか気を悪くしないで下さいまし。
私はそこで、一人の女性の肉体に激しい愛着を覚えたのでございます。
椅子の中の恋
それがまあ、どんなに不思議な陶酔的な魅力を持つか、実際に入ってみた者でなくては分るものではありません。
決してこの世のものではありません。悪魔の愛欲ではないでしょうか。
始めの予定では、盗みの目的を果たしさえすれば、すぐにもホテルを逃げ出すつもりでいたのですが、世にも奇怪な喜びに夢中になった私は、逃げ出すどころか、椅子の中を永住の住処にしたのでございます。
それにしても、数ヶ月という長い月日を、見つかることなく椅子の中で暮らしていたというのは、我ながら実に驚くべきことでした。
私の奇妙な恋は絶えず出入りするホテルで、時と共に相手が変わっていくのを、どうすることもできませんでした。
そして、その数々の不思議な恋人の記憶は、体の格好によって私の心に刻み付けられているのでございます。
あるものはすらりと引き締まった肉体を持ち、あるものは脂肪と弾力に富み、あるものはギリシャ彫刻のようなガッシリと力強く円満に発達した肉体をもっておりました。
そのほかにも色々な経験を致しましたが、長くなりますのでお話を進めましょう。
さて、私がホテルへ参りましてから、何ヶ月かの後、
ホテルの経営者が変わり、椅子は競売に出されることになりました。
盗みためた金が相当な額になっていたので普通に暮らすこともできましたが、もう少し椅子の中の生活を続けてみることに致しました。
そうして、私の椅子は立派な邸に住む官吏に買い取られました。
洋館の広い書斎に置かれ、私にとって非常に満足だったのは、その書斎は主人よりも、若く美しい夫人が使用されるものだったのでございます。
それ以来、一ヶ月の間、私は絶えず夫人と共におりました。
食事と就寝時間を除いては、夫人のしなやかな身体は、いつも私の上にありました。
夫人は書斎につめきって、ある著作に没頭していられたからでございます。
私がどんなに彼女を愛したか、
それはここにグダグダと申し上げるまでもありますまい。
私は本当の恋を感じました。
ホテルでの経験など、決して恋と名づくべきものではございません。
その証拠には、これまで一度もそんなことは感じなかったのに、どうにか私の存在を知らせようと苦心したのでも明らかでしょう。
私は出来るならば、夫人にも椅子の中の私を意識して欲しかったのです。
そして虫のいい話ですが、私を愛して貰いたく思ったのでございます。しかしあからさまに伝えれば、彼女は驚きの余り、主人や召使達に告げて、私は罪名を着て刑罰を受けねばなりません。
そこで私は夫人に、私の椅子を居心地よく感じさせ愛着を起こさせようと努めました。
彼女が私の椅子に生命を、物ではなく生き物として椅子に愛着を覚えてくれたら、
それだけで私は十分満足なのでございます。
私は彼女の身体を出来るだけ優しく受けるように心がけ、気づかれない程度に身体を揺すり、身体の位置をずらして休ませたり、ゆりかごの役目を勤めたりいたしました。
その心遣いが報いられたのか、近頃では夫人は、なんとなく私の椅子を愛しているように思われます。彼女は愛情をもって身を沈めてきます。
私の膝の上で身体を動かす様子までが、さも好ましいといったように見えるのです。
ああ、奥様、ついに私は身の程もわきまえぬ大それた願いを抱くようになったのでございます。
たった一目、私の恋人を見て、そして言葉を交わすことが出来たのなら、そのまま死んでもいいとまで、私は思いつめたのでございます。
奥様、あなたは無論、とっくにお悟りでございましょう。
その私の恋人と申しますのは、余りの失礼お許しくださいませ。
実はあなたでございます。
私は昨夜、この手紙を書くためにお邸を抜け出しました。
そして今、あなたがこの手紙をお読みなさる時、私は心配のために青い顔をしてお邸のまわりをうろつき回っております。
もし、この世にも不躾なお願いをお聞き届けくださいますなら、どうか書斎の窓の撫子の鉢植えにあなたのハンカチをおかけ下さいまし。
それを合図に、私は一人の訪問者としてお邸の玄関を訪れるでございましょう。
佳子は半分ほど読んだところで、恐ろしい予感に真っ青になって無意識に立ち上がりました。肘掛け椅子から逃げるように書斎から居間に場所を移しましたが、そこで続きを読むか破り捨てるか考えます。
しかしどうにも気がかりなので、居間で続きを読みつづけました。
彼女の予感はやっぱり当たっていました。
オオ、気持ち悪い
読み終わってからも身震いが止まりません。
あまりのことにぼんやりしてしまい、
これをどう処置すべきか、まるで見当がつきません。
椅子を調べればいいんでしょうが、そんな気味の悪いことが出来てたまるか。
ホラー映画の主人公じゃねぇんだぞ!
そこに人間はいなくても、食物や、汚物も残ってるかもしれないのです。
絶対無理。
「奥様、お手紙でございます」
ハッとして振り向くと、一人の女中が今届いたらしい封書を持って来ました。
佳子は無意識にそれを受け取って開封しようとしましたが、びっくりして思わず手紙を取り落とします。
というのも、さっきの不気味な手紙と筆跡が一緒だったのです。
開封するか、捨てるか、長い間迷いましたが、ビクビクしながらも中身を読んで行きました。
手紙はごく短いものでありましたが、彼女をもう一度ハッさせた様な、奇妙な文章が記されていました。
突然手紙を差し上げます不躾を、幾重にもお許し下さいまし。
私は日頃、先生のお作を愛読しているものでございます。別封お送り致しましたのは、私の拙い創作でございます。ご一覧の上、ご批評が頂けますれば、此の上の幸いはございません。
ある理由のために、原稿を先に投函致しましたからすでにご観覧済みと拝察致します。
いかがでございましたでしょうか。もし拙作がいくらかでも先生に感銘を与えられたとしますれば、こんなに嬉しいことはないのでございますが。
原稿には、わざと省いておきましたが、表題は『人間椅子』とつけたいと考えてございます。
では失礼をかえりみず、お願いまで。匆々。
お疲れ様でした。
どうですかこの
江戸川乱歩先生渾身のラブレターは
物語を損なわないよう最低限に抑たつもり…ですが…
ちょっとぶった切りすぎたかな…伝わるかな…この身の毛もよだつ感じ…
と、考えて、やっぱりこの作品凄いよな。好きだわ。と現実逃避してました。
読書が苦手な方にストーリーを知って貰いたいとオチまで書きましたが、どうなんでしょうか。書かない方が興味をもって頂けるのか…探り探りやっていこうと思います。
椅子のトリック考えてて思いついたのかもしれませんが、主人公が手紙を読んでいて、読者も主人公と同じ目線で読み進める。2通目を見ても本当に?実はやっぱり椅子の中に人がいるのでは??といった不安も残して、物語としてはこれ以上ないくらい綺麗に終ります。タイトルを最後に持ってくるところ。しびれます。
そして、卑屈な男を書くのが上手い。
作者は幼少時代に引っ込み思案で壁を作るようなタイプだったらしいのですが、
おそらくそんな幼い頃の自分や、他人を好ましく思えないでいる心情を織り交ぜて書かれているので、変な言い方ですがイキイキとしています。
江戸川乱歩の初期作品は《本格探偵小説》と呼ばれており本人はそういった本格ミステリーを書いていきたいと思っていましたが、読者からの支持は《変格もの》と呼ばれる怪奇・幻想小説でした。
私の好きなやつです。なんか…ごめんなさい。
失礼な話ですが、ミステリーよりそっちの方に才能が振り切れていたといいましょうか
それだけ江戸川乱歩の書く幻想は、人を惹きつける魅力があるんです…よ
自分の書きたいものと、世間からの評価に苦しみ、自己嫌悪から休筆をすることもしばしばありました。
なかなかネガティブな性格をされており、人気作家なのに(それゆえなのか)
『生きるとは妥協することである』
『たとえどんなにすばらしいものでも二度とこの世に生まれ替わって来るのはごめんです』
などの名言を残しておられます。
参考図書